大判例

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東京高等裁判所 昭和26年(う)7号 判決

原判決は公訴にかかる被告人両名の共謀による割当公文書と引換によらない指定繊維製品の買受の事実は証拠によつて認められるといい、しかも該買受を以て違反行為としながら、なお「被告人両名として右所為は真にやむを得なかつたもので、斯かる繊維製品に対する切実の要求を拒否して唯々配給のみにたよることは到底出来得なかつたものと謂わなければならない」と判断した結果、これを以て罪にならないときに該当するとして被告人両名に対し無罪の言渡をしたのである。おもうに、その趣旨とするところは、被告人両名の所為は違法ではあるが責任がないというに帰するようである。しかし、その責任がないとする理拠が何であるかは、措辞簡に失してにわかに理解することが困難なのであるが、或は論旨において指摘するように、それは被告人両名に対して適当な行為を期待することが不可能な事情にあつたとする、いわゆる期待可能性の理論によつたものと見るの外はないであろう。

そもそも、期待可能性の理論なるものは、刑法において明文上の根拠はないが、解釈上責任阻却の事由として認められないわけではない。超法規的概念なるが故に、これを肯定することは刑法の独断的解釈なりとする所論は、却つて刑法の真の機能の発揮を妨げるものといわなくてはならない。このことは、刑事訴訟法に起訴便宜主義を宣明した第二四八第の規定あることに想い到るならば、たやすく了解され得る所と考える。しかし、それはそれとして、原判決が被告人両名の本件所為を以て期待不可能な情況の下になされたものと認めるための資料として挙示する川鍋英、斉藤鉄郎の各証人尋問調書、原審公判廷における津川辰政、柿本林之助の各証言、朝香茂の司法警察員に対する供述調書、原審公判廷における朝香茂の供述、大宮物資部運営委員会並に自治監査規則と題する書面の各内容を綜合して考覈してみても、未だ以て被告人両名の所為が期待不可能な情況の下において為されたものと認めるには不十分である。してみれば、原判決は理由において不備あるものといわなくてはならないので、論旨は結局理由あるものということができ、原判決はこの点において破棄を免れない。

(検察官控訴趣意)

一、原審判決は法令の適用に誤りがあり、其誤りは判決に影響を及ぼすこと明瞭であると思料する。

(1) 原判決は被告人両名が衣料品小売業者として登録を受けている東京鉄道局大宮物資部物資係の職員として物資の購入の業務を担当中共謀の上、右業務に関し昭和二十三年三月十二日頃から昭和二十四年五月二十四日頃迄の間前記物資部に於て衣料品卸売業者でない横田鉄治から湯上タオル外十三品目の指定繊維製品を代金合計二十六万四千六百六十七円五十銭で買受けた違反行為に対し、無罪の言渡を為し、其理由として「本件繊維製品売買当時の大宮工機部の状況は戦後の鉄道輸送力の増強復旧が急務であつて之が職務を行ふ職員約五千名は作業服、軍手、手拭などの物資を極度に必要とし之がなくては鉄道の機能を安全且迅速に発揮することが出来ぬのに官給品である帽子、作業服、軍手などに付ても帽子は支給されず、作業服は年一着の支給に之とても計画より二、三ケ月遅れて配給され其の上品質粗悪であり殊に軍手は傷害予防の為是非とも支給されるべきもので規定上は年八双支給となつているのにほとんど支給されなかつた。そこで組合員はボロ布を家から持つて来て手袋を作つて作業をやり浴衣をこわして手拭にすると云つた有様で繊維製品でさえあれば品種を選ばず渇望し為に労働組合からも物資部運営委員会からも前記資材部員に切々たる要求をし其要求は寧ろ係員に対し威圧的にさえなつていたと謂ふことが認められる。この様な具体的事情の下において前記地位職責にあつた被告人両名として右所為は真にやむを得なかつたもので斯る繊維製品に対する切実の要求を拒否して唯々配給のみにたよることは到底出来得なかつたものと謂わなければならない」と為し本件所為は罪とならないときに該当すると説示している。

要するに原判決の説示する処は、本件被告人両名の所為は犯罪の証明はあるが、他の行為に出ずることを期待し得なかつたものと認定し、罪とならずと判断したものと思料されるのである。

(2) 然し凡そ被告人の刑責を認定するに当つては先ず其行為事実が一定の罪となるべき法定事実を充足するや否や及び其法定事実充足の行為は法律全般の上から違法と目さるべきか否やを標準として決せらるべきであり、該行為が法定事実を充足し法律全般の上から違法と見られる限り、刑事責任を負はねばならない。若し之に対し刑事責任を排除する為には特に刑法上に於て其原由が規定されている場合即ち刑法第一編第七章に種々責任阻却の事由が明示されている其中の何れかに該当する場合に限られるものにして、右刑法上明定する以外の事由を採つて刑責を全面的に否定するが如きは許さるべきでないと思料する。

然るに原判決は刑法上明規なき期待可能性というが如き超法律的理論を採用し卒然罪とならずと判示するに至つたのであるがそれが罪となるべき法定事実を欠くものなりや、或は違法性を欠くものなりや又は責任阻却の原由を具備するものなりや等具体的に何が為に刑責を排除されるべきか刑法上の根拠を説示せず、漫然罪とならないときに該当すると為し、刑事責任を全面的に否定し無罪の言渡を為したのは、法の独断的解釈の下に判決に理由を附せず且つ刑罰法令の適用を誤りたるものと断ぜざるを得ない。

仮りに現行法上期待可能性の有無に依り刑責を排斥するの一事由とすることを肯定するも、現行法上之に関し一般的規定なき故所詮裁判所に於て個別的具体的案件に応じて合理的判断を為すとしても、之が実務に運用するに当つては、其適用は厳格なるを要し、社会一般の通念を基礎とし当該行為に際し通常人を其地位に立たしむるも猶且当該事情のもとに於ては、当該行為に出でさるを得ないとされる場合に非ざれば、期待可能性の不存在を肯定して行為者の刑責を否定し得ないものにして、単に合法行為への動機決定が甚しく困難視されるも猶且不可能でない限り責任は解除されないものと解されねばならないと思料する。

(3) 之を本件について見るに原判決は前記の如く「前記地位職責にあつた被告人両名として、右所為は真にやむを得なかつたもので、斯る繊維製品に対する切実の要求を拒否して唯々配給のみにたよることは到底出来得なかつたものと謂わなければならない。」と判示しているのであるが、勿論本件繊維製品売買当時は、たゞに繊維製品に限らず、食糧其他一般必需物資の欠乏を来し、公私事業の運営復旧に支障を生じて居た事は敢て判示を俟つ迄もなく公知の事実である。敗戦の結果による困苦窮乏は朝野を問わず、国民の等しく経験していた処のもので、ひとり大宮物資部に関係する鉄道職員に限られたものではない。此故に政府は衣料品の円滑なる配給を企図して、衣料品配給規則を制定し、規則所定以外の売買を禁止したのである。従つて物資の不足により仮りに鉄道事業に支障を来すことあつたとするもそれは政府の責任であつて被告人等の責任ではない。されば法令に違背して本件売買行為を為すと、又之を為さざるとについては全く被告人両名の自由に選択し得た処のものであり、法令を遵守し売買行物を断念することは被告人等にとり何等の苦痛危険を伴わずして為し得たものと謂わざるを得ない。仮りに原判決説示の如く「労働組合物資部、運営委員会より切々たる要求を為し、其要求は寧ろ係員に対し威圧的にさえなつていた」とするも其行為が法令違反として処罰の危険が伴う以上之を拒否することは自由であり得た筈である。之に対し威圧的要求を為すは元より理不尽の要求であり、かかる要求に対しては上司の指揮を得て然るべき措置を求むる等、被告人等にとつて格別不利を招かずして他の行為に出ずることは決して不可能とは云い得ない。加之原判決の認定する本件被告人等の買受繊維製品中には婦人用絹靴下二二八足、銘仙布団地四十反等が包含されて居る事は原判決の採証する証人横田鉄治の証言及被告人朝香茂の提出に係る衣料品買受一覧表に依り明らかである。斯の如き繊維製品が鉄道作業に直接緊要ならざる物資であることは多言を俟つ迄もない処であり、かかる物資を包含している処をもつてしても本件被告人等の所為が真に止むを得ざるに出でた行為なりと断ずるのは所論矛盾し到底首肯するを得ないものである。

二、以上の点よりして原判決は法令の適用を誤り破棄を免れないものと思料する次第である。

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